日本と海外をつなぐミッション型ヒューマンマネージャー
【ゲスト】株式会社エンスパイア 土肥幸之助さん
【インタビュアー】株式会社ビースタイル 代表取締役社長 三原邦彦
【ライター】 荒川雅子
一橋大学をご卒業された後、リクルートグループにて10年以上HR事業に従事された土肥幸之助さん。国内にて事業開発をマネージャーやディレクターに5年間従事された後、単身インドネシアにわたりASEAN市場の地域ディレクターとしてリクルートホールディングスの事業拡大に貢献されました。
今回は当社社長の三原が、国内企業向けの営業やマーケティングから、海外事業の立ち上げや統括まで幅広い経験をお持ちの土肥さんに、ご経歴やリクルートのカルチャー、アジアでの苦労話などについてインタビューしました。
入社半年でリーマンショック。
別会社に出向し真逆の環境へ
三原
まず初めに、ご経歴をお聞かせください。
土肥
2008年4月に新卒でリクルートに入社し、最初はリクナビNEXTで新規開拓営業をしていました。当時は新人チームに所属していたので、既存顧客は一切担当しておらず、全て新規アプローチで、あらゆるところを当たりまくっていました。
三原
そのときは、新卒と中途の両方の媒体が対象だったんですか?
土肥
いいえ、中途だけでした。ところが、半年後にリーマンショックが起きて、景況感が落ちて、求人広告が売れにくくなったんです。それで採用数を縮小したり、最終的にはリストラをしたり、いろいろと組織が再編される中で、人材紹介のリクルートエージェント(当時)へ出向になりました。新しい事業モデルをやるということで出向したんですが、いろんなことをやっていました。
三原
どんなことをしていたんですか?
土肥
最初はキャリアアドバイザーでしたね。その時は通常の人材紹介とは違って、求人ポータルで人を集めて、キャリアアドバイザーをつけて、成果報酬を得るということにトライしていました。
三原
面白いなあ。ある意味、ちょっとした商品開発だったんですね。
土肥
僕自身が商品を開発していたわけではないんですけど、メディア系の人たちと、人材紹介系の人たちが集められた混成部隊の事業部だったので、いろんな人がいて、すごくカルチャーショックを受けたことをよく覚えていますね。
三原
メディアと人材紹介のカルチャーって、全然違いますか?
土肥
違いますね。同じ採用支援というカテゴリーでも、アプローチの仕方が全然違うんです。特に当時のメディアは、風呂敷を広げて、「社長、一億ください!」みたいな営業をして、そういう営業マンが評価されていました。その一方で人材紹介は、「これくらいのコンバージョンで推移することがわかるから、一人決めるためにこれくらい母集団を集めないといけない」とプロセスを緻密に設計して、しっかりやっていく詰将棋のような世界だという印象を受けました。
三原
メディアの場合は、大きくプレゼンテーションして、ががーっと求職者の動機形成をする世界でしたもんね。そんな時代もありましたね。
土肥
はい。そこにいくら乗せて売れるかが営業の力量だという世界と、日本で一番大きな転職データベースを活用して、お客様の求人充足率をいかに最大化するかに向き合っている世界。課題の根源は一緒かもしれないですけど、広げるのか、たたむのかというように、やろうとすることが真逆でしたし、それぞれを得意とする人も全然違いましたね。
代理店のモチベーションを上げるクールさと泥臭さ
三原
そこでは何年くらいやられたんですか?
土肥
実は9か月でその事業部がクローズになりまして、同時並行で走っていた違う新規事業のほうに2年目の途中で合流しました。
三原
そこではどんなことをされていたんですか?
土肥
リクナビNEXTプロジェクトという、当時400万人ほどあったリクナビNEXTのデータベースを活用した成果報酬型のスカウトサービス事業です。ちょうどその事業立ち上げのタイミングだったので、営業企画や営業推進、渉外業務なんかを担当していました。
途中からほとんど関西にいて、関西エリアの事業推進は全部自分でやっていました。
三原
1から10まで?大変ですね。
土肥
そうなんですよ。フロントからバックヤードのオペレーション設計まで。東京にある企画機能との接続、制作部隊のディレクション、代理店さんとのやりとり、営業のあれやこれやと、本当にフリーマンのように、その商品に関わることを全部やらせてもらいました。
三原
どういう商品なのかを代理店さんや営業に説明して落としていくという感じですよね。
土肥
そうですね。代理店さんや営業に商品を売ってもらえるように、僕自身がいろんなチャネルのハブになりながら、3年間やっていました。
ガチガチの営業ではない一歩引いた立場から、両方を見ながらフロントを推進していくというようなことをやっていました。
三原
代理店さんって、なかなか売ってくれないじゃないですか。それを売りたいと思わせるノウハウって何かあるんですか?
土肥
報酬体系などのお金に関しては経営の方達が設計してやっていましたが、現場に対しては、分かりやすくスターを作り上げるとか、もっとエモーショナルに、泥臭く働きかけました。例えば、代理店横断での選抜研修みたいなものを設けて、まずはその人達に売り方をマスターしてもらいます。そして、彼らがかっこいいという文化を作って、各会社に持ち帰ってもらって、「僕も褒められたい」と思ってもらうようにする。そういったリクルートの社内でやっているスターシステムみたいなことをやっていました。壇上に上がるのが素晴らしいことだという文化醸成もしました。
三原
表彰もするんですか?
土肥
はい、します。各社のエースだけを集めた決起会とか、表彰会とか。
「良いスキームにしましょう」という戦略的でクールな面と、「一緒に頑張ろうよ!」というめちゃくちゃ泥臭くてエモーショナルな面。この両面が、特に大阪の場合は強かったなっていう気がします。
事業立ち上げのため、単身でインドネシアへ
土肥
僕は10年間リクルートにいたんですけど、5年目の2012年に社内公募に応募して、翌年度からインドネシアに事業立ち上げのメンバーとして一人で行かせてもらいました。最
終的には5年間、インドネシアとタイのエリア責任者として、両方の営業の現地法人を経営していました。
僕がいた当時は、日本国外におけるエグゼクティブ層の人材斡旋事業はあったんですが、ミドルからローワー層の、かつその中でリクルートが一番バリューを発揮できる日系企業向けの人材紹介事業が無かったんです。そこを立ち上げるというのが僕のミッションでした。
三原
大変ですね。顧客は日系企業ということなんですか?
土肥
最初はそうでしたね。
三原
最終的には何人くらいの規模でやれるようにしたんですか?
土肥
タイが50名、インドネシアが30名の、合わせて80名くらいの部隊がいました。
三原
基本は人材紹介ということですよね?
土肥
人材紹介でしたね。なので、僕が事業開発をやっていたというよりは、ある程度事業アジェンダが決まっている中で、まだ誰もやっていない領域にどんどん出ていって、ゴリゴリ道を作っていったというようなキャリアです。
三原
コンサルタントは現地の人ですか?それとも日本人?
土肥
コンサルタントは両方いました。現地の日系企業向けのサービスではあるものの、結局ご紹介するのは現地の方々が8~9割なので、基本的にコンサルタントは現地の方でした。ただ、現地で働きたいという日本人もいらっしゃいますし、日本人が欲しいという企業も一定数あるので、逆に日本人候補者の方のために日本人を置かないといけなかったんです。そういう意味では、組織の1~2割くらいが日本人で、あとは基本的に現地の方々でした。インド人もいましたね。
語学面に関して言うと、僕は幼少期イギリスにいたので英語には抵抗感が無かったんです。
三原
それは素晴らしいね。それで、何故そこを辞められたんですか?
土肥
2018年4月までインドネシアとタイにいたんですが、帰任して日本のリクルートキャリアに戻ることになりました。もう少し具体的にいうと、「リクルートキャリアに戻ったら何がしたいか」と聞かれて、一週間考えたんですけど、リクルートキャリアでやりたいことが明確になかったんです。愛着も恩義もありましたし、嫌で辞めたというわけではな全くないのですが、それまでの5年間を上回るエキサイティングな経験ができるイメージがどうしても湧かず…浦島太郎になっていたという理由もあるかもしれません(笑)
それで、2018年6月に退職しまして、そこから実はバックパッカーになって、半年くらい世界中を旅していました。
三原
へえ!
土肥
今年の1月に日本に帰ってきて、改めてさあどうしようとなった時に、いろいろと思うところがあり、令和になるタイミングで会社を作りました。富山県の実家に会社の登記があるんですけど、地元をキーワードにして何かやろうと思い、現在はいろいろと富山・東京・海外からお声掛けいただいて、お仕事を受けています。
三原
なるほど。新しく作られた会社では、何やっているんですか?
土肥
それが、まだ「事業内容」は白紙なんですよ。
三原
ははは(笑)逆にかっこいい。
土肥
いや、全然かっこよくなくて、かなり行き当たりばったりな人間なので。よく言えば自由度が高いんですけど、やっていることはフリーランスと変わらないかもしれませんね。従業員もいませんし。
多様性の向上に貢献する出島のような存在でありたい
三原
今までで仕事をされてきた中で、ご自身の強みはどんなところだと思われますか?
土肥
そうですね。「僕は何屋です」ということは言ったことがなくて、能力やスキルではなく、どちらかというと何かに向かう時のスタンスを評価されることが多いです。例えば、よく言われたのが、私はすごく“無私(むし)”だと。
三原
無私?
土肥
無い私。私心が無いということをよく言われます。結構エモーショナルな人間なので、心がないということではないんですが、自分のエゴで物事を進めることはありません。例えば、まだ経験したことがないものに対して、「これは絶対にやりたくないです」ということは、まず言いません。ボール投げられたら、基本的に全力でバット振りに行くんです。
三原
なるほどなるほど。ある意味ミッション型なんですね。
土肥
そうなんです。自分のやりたいことが明確にあるタイプではないのですが、求められたら基本的に何でも応えます。もちろん戦略性も大事ですが、「これしかやらない」と決めて動くというよりは、目の前のことに対して自分が提供できる価値を考えて、真摯にやる。その中で最大限に自分らしさも盛り込んでいく。そういうスタンスを評価していただいています。
三原
得意な分野はありますか?
土肥
やはり語学面や海外経験にバックグラウンドがあるので、マインドもスキルもやってきたことも、すごく海外寄りだと思います。海外絡みのことは常にアンテナを張っていますし、日本の中の出島のような存在でありたいと思っています。今も、シンガポール人と日本人の合同研修の研修プログラムを設計したり、その研修講師をやっていたりします。
三原
へぇ~。面白いですね。
ちなみに、マネジメントとディレクションって若干違うじゃないですか。どちらかと言うとマネジメントは人を管理するので対人的な要素が強くて、ディレクションはある企画自体を管理するのでもっと個人技的じゃないですか。土肥さんはどちらがお強いですか?
土肥
その二つで言うと、マネジメントだと思います。物質的なものよりも、人の心や組織の関係性に興味関心があるんですよね。
三原
なるほど。組織プログラム系が好きなんですね。教育とか育成も好きなんですか。
土肥
育成自体も好きです。
三原
なるほどね。ヒューマン寄りの方なんですね。
土肥
ほんとに、振れすぎなくらいヒューマン寄りです。逆にバランス取った方がいいかなって最近思っているくらいです(笑)
三原
面白いですね。そうしたら、外国人を含めた人材紹介はお得意そうですよね。
土肥
そうですね。自分の特技を活かすなら、やっぱり異文化というか、クロスボーダー的なテーマで何かやっていきたいし、多分それが自分のある種一つ生きてきたバックグラウンドの中に接続する方法だなと思っているので、仰る通り外国人の日本就労やその逆もしかり、もしくは他のアプローチもあるかもしれませんが、そのあたりはすごく自分の興味関心が強いテーマです。
もう少し広く言うと、日本に来て住んでくださっている外国人の方々のQOL(クオリティオブライフ)を上げるにはどうすればいいかということもすごく考えています。
僕自身も海外でのマイノリティ経験が幼少期からありますし、日本はまだなんだかんだ閉鎖的なところがすごくあって、もったいないなと感じることがよくあります。
三原
僕も、特に大手中心に、もう少し外国人が経営陣に入っても良いと思うんですよね。
土肥
仰る通りだと思います。でも外国人の前に、日本人の中でもそもそも若手や女性が経営陣にほとんどいないところが多いでしょうし。そういう意味では、やはり日本は多様性がまだまだ低い国ですよね。しかし、これからは変わらざるを得ないと思いますよ。
三原
例えば、外国人経営者を連れてきて働いてもらうということも増えていくんですかね。
土肥
そう思いますし、そういうことができない企業は遅かれ淘汰されていくと僕は思っています。別に必ずしもトップじゃなくても良くて、少なくともボードにいればいいと思うんですよ。
三原
確かにそうですよね。
土肥
リクルートでも新卒で外国人を採っても、ビジネスの現場で定着しなかった過去があるので、まだまだ成功事例が本当にまだ乏しい。そうした成功事例をどんどん作っていきたいですね。
三原
今後も、海外事業展開を検討されている企業様や、ダイバーシティを検討されている企業様のご支援など、色々お力添えいただけると嬉しいです。引き続きよろしくお願い致します。
【経歴】
株式会社リクルートホールディングス
・HR事業の国内営業、営業企画、事業開発を5年経験
・インドネシア、タイ2か国での海外現地法人立上げ及び経営を5年経験
インドネシアでは売上を20倍、タイでは10倍に伸長させる
株式会社エンスパイア(代表取締役/2019.1~)
・海外事業展開における各種事業支援
・人材事業の立ち上げや拡大における各種事業支援 他
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